なんでゲームは楽しいのか
うぅ…チャンバラしたい…うぅ…(涙目)(子犬)(勉強しろ)(毎晩ゲームはしている)(確かじゃないけど、誰かに監視されてる気がする)
どもども、中々梅雨が明けませんね
7月も終わるのにかなり涼しい方なのではと調子に乗ってたら寒暖差でお腹痛くなりました()
さてさて、今回はみんな大好き「ゲーム」のお話です。
今や色んな人がこぞって好きなものをやり、市場としてもかなり大きなものになった文化ですよね。
そんなそれっぽいことを言ってドヤ顔する前置きはさておき、僕はというとゲームを始めたのは5歳くらい、いわゆる幼稚園の年中さんくらいからでした。
兄が通う小学校のPTAについていったとき、同じようにいつもいた小学生の子にゲームを貸してもらえたのがキッカケで、それはそれはドハマりしました。
途端に「僕も買って!」と駄々をこねる子どもの出来上がり。
誕生日にゲームボーイアドバンスSPとエメラルドを買ってもらったのを覚えています。
そんなこんなでそこから現在に至るまで、僕の人生はゲームとは切っても切り離せないものとなりました。
実際これまでの約20年間を通じて丸一日ゲームをしなかったという日は合計でもおそらく20を切るんじゃないかなと思うくらいにはずっっっっっっっっっっっっっっっっとゲームをしてきました。
自分で言うのもアレですが立派な廃人なのかもしれません。
そんなとき、ふと兄から言われたことがあります
「どうしてお前はそんなにゲームを続けられるんだ」
確かに言われてみれば。
兄もゲームをする方ではありましたが、そこは陽キャ、友人たちと楽しくやる程度で僕みたいにぼっちで黙々とやるとまではいきません。
むしろ僕はぼっちの方がゲームを楽しんでいる説すらあります
考えてみると意外と深いところまでいくもので、僕の中では二つの特徴が要因なのだろうと結論に至りました。
・「達成」することが必ず終着点にある
・非現実性
まずはゲームは楽しいものだ、というのは大前提。
僕は当時クソゲーオブザイヤー次点にノミネートされた作品を嬉々として楽しんでいたこともあるくらいどんなゲームでも基本的に楽しめる性質なので、そこはもはや気にしていません。
幼さは時に残酷な現実を知らずに済むんですね…(遠い目)
さて、まずは一つ目の特徴
「達成」することが必ず終着点にある
というところから。
人は誰しも達成感を得ると心地よくなります。スラングを使うなら脳汁が出るんですね。キモチええんです。
そしてゲームというものは必ずといっていいほど「自分の手で」「何かを達成する」という行為があります。むしろそれの繰り返しといってもいいでしょう。
たとえアクションやRPGのものでなくともいいんです。育成シミュレーションでもそこには何かを「達成する」という行為が存在しています。パズルも、ノベルゲーも、推理モノであってもね。
そこには明確に自分の分身、すなわち自分の思いのままに動かせるキャラがいて、それが自分の代わりにあらゆることを成し遂げる。これほど楽しいものはありません。
かつ、第2の特徴
これが大事というか、そりゃそうだってとこなんですが
非現実性
これもゲームにおいてとても重要。
さっきの達成することに加えて、「現実じゃない」というところも、人がゲームにハマるうえで重要なんだと思います。
人にとって「現実じゃない」っていう感覚はそれだけであらゆる行動のハードルが下がります。
それこそ自分が普段じゃできないこともたくさんできるわけです。
・普段自分ができないことを
・自分の意のままに動かせる分身が
・あらゆることで達成していく
これがかみ合うことで人はゲームにとてもドハマりするのかなと思った次第です。
まあこんなことを考えながらゲームしてたら楽しいもんも楽しめないので、それはそれとしてゲームを楽しむのが大事なのかなと思います()
世のクリエイターさんたちに感謝して、今日も楽しくゲームしたいと思いますね。
ではでは(´・∀・`)