赤い弓兵の背中に憧れて(中)
お昼寝…気持ちいい……(虚ろな目)(勉強はかどらない)(もう嫌だ)(その心の虚空…私からのプレゼントよ)
どもども、てことで今回はFate/stay night [Unlimited Blade Works]のアーチャーと士郎について語りたいと思います。
今回も前回と同じくネタバレが大量に含まれているので、もしアニメ視聴を考えている方は気をつけてくださいませ。
※今回クッソ長いです。そして長すぎて自分語りまでいけないのでそれは来週になります…()
さて、主人公である士郎くんについて前回サラッと紹介しましたが、彼について語るうえで重要なことがあります。
それは彼の理想についてです。
士郎は幼少期に、とある大事故に巻き込まれ、一人の男に助け出されます。
この男が後の養父となる、衛宮切嗣(きりつぐ)であり、彼もまた様々な背景があるのですが、そちらはFate/Zeroをみてくださいね☆
切嗣は以前、とある理想を持っていました。
それは「正義の味方」になること。
物語の登場人物のように、困っている誰かを助けられる存在。苦しむ人々すべてを救う存在になる。そんな正義の味方になりたいと願い、そして挫折したのです。
そのことを聞いた士郎は、こう約束します
「しょうがないから、オレが代わりになってやるよ」
と。自分にとっては他ならぬ正義の味方であり、ヒーローのような存在である切嗣の理想を、代わりに叶えると言ったのです。
こうして士郎は「自身は正義の味方にならなくてはいけない」という強迫観念とも呼べる理想のもと、成長していくことになります。
しかし、そんな士郎の掲げる理想には問題がありました。
士郎には自分が発端と呼べる感情や意思がなかったのです。誰かを助けたいという理想に囚われるばかり、「自分のことよりも他人の方が大切であり、自身は二の次として行動する」という歪な人間になっていました。
事実、聖杯戦争に参加することを決めた理由は
「願いを叶える人間が悪者であるとひどいことになるかもしれない」
からであり、それを阻止することを目的として参加しました。つまり
願いを叶えるためではなく、誰かが傷つく可能性を減らすために、命の危険がある聖杯戦争に参加したのです。
自身に叶えたい欲求など何もなく、ただ「誰かを助けたい」という理想のために行動する士郎の在り方が、Fate/stay nightの作品を通して描かれるテーマの一つなのです。
そのような正義の味方になること。困っている誰かを助けるために自らを犠牲にする行為こそが、士郎の生き方であり、そこに「自分」という存在はなかったのです。
ここが、まず一つ重要なポイントです。覚えておいてね。
そして、物語の中でそのような歪な在り方を幾度となく否定し、皮肉る存在がいます。
それが、アーチャーです
彼は士郎の理想を正面から「無意味」だと否定しました。
作中で彼はこう述べます。
「誰かを助けたいという願望が己の内から出たものならば、その罪も罰も自分が生み出したものであり、背負うことすら理想のうち。しかしそれが仮初めのものならば、お前の理想は”空想”に堕ちる」
「他人による救いは救いではない。そんなものは金貨と同じであり、使えば他人の手に渡ってしまう。自分自身を救うという望みがないため、自分も他人も救うことができない。」
「そしてそれをお前(士郎)は、おそらくは死ぬまで永遠に繰り返すのだろう。誰も救うことができない、偽りのような人生だ」
と。
士郎には自分というものがなく、そして他者を助けるということしか考えていないため、結局「救う」ということの本質が理解できていないのだと言います。
なぜこのようなことが言えるのか。それはアーチャーの正体から明らかになります。
アーチャーの真名は「エミヤ」
彼は未来において士郎が己の「正義の味方になる」という理想を叶えた姿だったのです。
しかし、アーチャーは理想を叶えたことを非常に後悔していました。
なぜなら、「正義の味方」は間違いであり、そのような存在はあってはならないという結論にたどり着いたからでした。
士郎の養父、切嗣が正義の味方を諦めたのは
「誰かを救うということは、結局、誰かを救わないということ」であるからでした。
アーチャーも同じような結論に至ります。
困っているすべての人間を助けることなどできず、多数の”誰か”を助ける一方でごく少数の人間には絶望を植え付けるという行為が、救いという行為であると悟ったのです。
英霊となっても、アーチャーは心のどこかで自分の追い求めたものとは違うと感じながらも、あらゆる人間を助け、その一方で多くの人間の命を奪ってきました。
そうして、最期まで自身の理想にしがみつき、やがてそれすらも過ちだと気づき、すべてに絶望した彼は、己のために、士郎を亡き者にしようとします。
何も得られない、無意味な人生であるのならば、そのような人間はいない方が良いと、アーチャーは何度か士郎の命を狙います。
「理想を抱いて溺死しろ」
という言葉を吐き捨て、エミヤシロウという男の人生には何もないのだという後悔を持って、彼は戦うのです。
そして、物語の終盤
エミヤと士郎の一騎打ちが行われます。
自分の理想を貫き通そうとする士郎と、その理想を否定し存在ごとなかったものにしようとするエミヤ。
どちらもお互いを認めることができないために、激突します。
しかし、士郎にはやはりまだ自分というものがなく、エミヤの言い分が正しいもののように感じられ、弱気になってしまいます。
そしてさらに、エミヤが行き着いた先。これから自分が歩む道として、エミヤの宝具が発動します。
”無限の剣製(アンリミテッドブレイドワークス)”
と呼ばれるもので、一時的に現実世界を心象風景で塗り替える「固有結界」という大魔術になります。
用語難しいと思うのでとりあえず「エミヤの心の世界につれていく宝具」と思ってください。
この世界を見た士郎は完全にすくんでしまいます。
一面の荒野に剣が無数に刺さっており、まさしく「何もない」ような寂しい風景なのです。
「これからその道を、この足が歩くかと思うと、心が欠けそうになる」
というセリフが作中で使われるほど、士郎は絶望します。
そのような中で、防戦一方になった士郎は瀕死の状態にまで追いやられます。
誰かを助けたいという思いは、幼少期に切嗣が士郎を助け出したときに見せた安堵の表情に憧れたからであり、自分もそうなりたいという憧れから生じた感情でした。
それを指摘され、偽善に満ちた偽りの人生だとされ、自分の理想や感情をも打ち砕かれた状態になります。
しかし、そこで自身の理想の”始まり”を思い出します。
「正義の味方」という理想は誰のものであったか。
それは、切嗣のものでした。
誰かを助けたいと願ったのに、その理想の現実を知り、果たすことができなかった。
そんな「果たされなかった願い」であったのだと士郎は気づきます。
そして、自身の理想をこう肯定します。
「自分よりも他人が大切なんてのは、偽善だとわかっている。それでも、”そう”生きられたのなら、どんなにいいだろうと憧れた」
「俺の人生がまがい物でも、誰もが幸せであってほしいという”願い”は、美しいもののはずだ」
と言い切ることができたのです。
たとえ、自分自身が空虚で偽善に満ちた存在であったとしても、その生き方は、願いは、美しいものであるはずだと肯定してみせたのです。
この結論を受けて、エミヤは敗北します。自身がとっくの昔になくしたものを思い出し、戦いの最後には
「ひどい話だ。古い鏡を見せられている。こういう男がいたのだったな」
と皮肉りながら自分の負けを認めます。
このようにして士郎とエミヤの理想を巡る自身の在り方をかけた戦いは終わります。
次回はこの二人に影響を受けた僕の自分語りでもして締めくくりたいと思います。
三部になると思ってなかったヨ…
長くなってハードルあがってる感ありますがなにとぞお付き合いください。
次回またお会いしましょう
ではでは~(´・∀・`)