語り部タマザラシの堕落生活

日々是メンヘラ也、あぁ怠惰

うーーーーーん自己

嫌だ…浪人は嫌だ…勉強してないけど…(震え声)(死んだ魚のような目)(じゃあ勉強しろ)(マジで何も手をつけていない)(ダウンした、救援をお願い)

 

 

 

 

どもども、お久しぶりです。めっちゃいろんな人からブログについて言われて舞い上がってました。出願とか色々済んだのでまた投稿しますね。

 

そろそろメンヘラ回投稿するかあとか思ってたら「え、もうすでに結構なこと書いてません?笑」みたいなこと言われてビビったところです。やはり自分語りには慎重にならねばいけませんね()

 

 

今回は僕が子どものころからずっと考えてきていることについてですね。タイトルにもあるように、自分というものへの価値観とか考え方についてです。かなり曖昧で感覚的な話も含みますので、意味わからんことも言うかもしれませんご了承を。

 

 

僕は昔、本当に小学1年生くらいのころから、"自分じゃない誰か"の視点から自分のことをよく眺め、観察していました。もちろん今でもその感覚はありますが、特にそのころはそういった「自分のことを眺める」ことが多かった気がします。

そしてそこで見ていたものは、自分の行動とかではなく、内側、それもかなり精神世界というか、上手く言い表せないですが覗こうとしても中々見えない部分によく思いを馳せていました。

 

さすがに友達といるときはそんなことしていると浮いてしまうのでそんなことしませんが、今でも練習場所で独りぼっちのときとか虚空見つめてたりするときは、どこか自分の世界に入っていることが多いですね(え?ばっちり浮いてる?うるさいよ)

逆にそのせいで陰キャまっしぐらになったり、今では「話しかけんなオーラがでてる」って言われたりするんですけどね()

 

 

さて、内側を覗くとなると、まあ昔から一貫して同じ感想を抱くんですよね、空っぽだなって。人間性としてもそうですが、単純に空洞に見えるんですよね、そりゃ視覚的には何も見えていないので当然っちゃ当然ですが。

そのせいで「自分という存在がいなくなると世界はどうなるんだろう?」「この世にはワイ一人しかいないのか?」みたいな感覚を子どものころから持ってしまい、どこか達観した、悪く言えばスカしたイキり少年が誕生しました。

 

でも実際、一つ目の疑問については今も似たようなものを持っていて、世界を知覚している(と思われる存在)のは僕一人なわけなので、それがいなくなれば”この世”はどうなるのか、というのは純粋に興味があります。まあ死んだらそれも認識できないのでとってもジレンマなんですけどね!www(自殺企図があるわけじゃないので安心してくれよな)

 

そんな風にして内側を覗いていくとなると、色んなことに考えが至ります。「自分は何のために存在しているのだろう」「自分は何をすればいいのだろう」みたいな、いわゆるアイデンティティの模索の時期が、僕はかなり早い段階で訪れました。それこそ小学校高学年くらいからは考えてましたね、変な子どもです()

 

とは言っても子どもが考えられることなんてたかが知れているので、あまりいい結果にはたどり着かず、最終的に自分は

 

「最期に良い人生だったと思えればそれでいい」

 

という結論にたどり着きました。この結論がまぁた厄介で、このせいで色んなことへの執着がなくなってしまい、僕という人間を今もなお悩ませ苦しめ続ける「自分という存在の希薄さ」を決定づける価値観になってしまいました。まあこれについては後日例の赤い弓兵のネタとともに語ります。

 

 

んで、昔からこんなことを考えていたので、人との関わりについても上手く自分を表現する術を知らず、上手いこと生きのびることに必死でした。なんでかって言うと、

 

自分が見ている自己他人から見える自己が違うので

 

そこで対人関係を円滑にするために、要は齟齬を無くすために僕は

他人から見える自己像を演じる

という方策を取りました。いわば仮面を上手く被るようにしたんですね。

 

悪く言えば自分の本心を隠すという風にも捉えられますが、でも相手が求める像を演じられるなら、それは悪いことではないはずだ。という考えのもと、こうして僕の基本的な対外姿勢が出来上がります。

 

自分という存在については、今もなお眺め続けていて、とってもメンヘラになったなあと思いながら今も生きています。

ここで勘違いしないでいただきたいのは、別にこれについて僕は悩むことはあっても後悔とかはしないようにしているのですよ。

というのも、先ほどの最期に良い人生だと思えればいいという価値観は、

 

「そこまでの歩みすべてを肯定する」

 

という考えが大前提にあります。言い換えれば、

 

「それまでの自分は否定しないようにしたい」

 

という一種の防衛機制とも言えます。この考えがある限り、僕はまだ何とかギリギリ生きていけるのかなと思います。この考え地味にオススメなので、マジで。皆さんも困ったらとりあえず未来の自分に丸投げして胸張って(ココ重要)その刹那を過ごしてみてくださいね()

 

長々と話してきましたが、収拾がつかなくなりそうなのでこのへんで。自己観というものは人それぞれで、僕みたいなメンがヘラってるやつのアレコレを聞いて、共感してくださる人もいれば、ドン引きする人ももちろんいると思います。苦しみ悩んでる人の助けになればなんて大層なことも考えてません。助けになるような内容なんてないy…ないですからね!!!

 

タイトル画像にもあるように、これはあくまでも自分語りのための場なので、読んでくださってる皆さんのことは考えているようで実はただ僕が言いたいことや頭に浮かんだことを書き連ねてるだけです。

 

ただ、それでも、もし誰かの何かに、水面に小石を投げて広がる水紋のように、響くものがあったらいいなという、少しのエゴをボソッと呟いて、今回は終わりにします。次はまた明るい話題を提供できたらいいなと思います。

ではでは~(´・∀・`)